2011年2月16日水曜日

モータリゼーション・郊外・逃走(ショッピングモーライゼーションの源流としてのあさま山荘): 文芸誌をナナメに読むブログ(書評)

んんん。
なるほど。
うまい展開。


kenzee「この、極端に片一方をケナして片方をやたら持ち上げるのは、実はまさに山岳ベースで起きた総括の手法になのだ。あとで詳しく述べるが、「総括」は一人一人、順番に殺されたイメージがあるが、実際には、大体二人同時に総括にかけられ、総括のレベルを競争させていた。たとえばAとBを同時に総括にかけ、「Aは頑張っている、もうちょっとで総括できそうだ」と褒め称え、食事なども与え、一方を「それにひきかえ、Bはまったく総括の努力が見られない」などといった評価を随時行っていた。これはイジメを正当化する論理を効率よく周囲に理解させる効果がある方法だ。一人を集団でリンチにかけるとさすがに「これは弱い者いじめではないか」という疑問が誰しもおこるものだが、この方法を使うと「Bは努力が足りないからダメなんだ」となんとなく正当化してしまう。この論理はターゲットが必ずしも「二人」である必要はなくて、複数であれば何十人、何万人でも使えるのだ。例えば、昨今の労働問題、派遣問題で登場する「自己責任論」とは要はこの論理なのだ。「Aは頑張って就職活動もマジメにやったので現在の既得権益を得たのだ。派遣村の連中はどうせ今までロクに努力してこなかったんだろう」と」

司会者「自己責任論が実は総括の論理だなんて」



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