レコード時代にひと通りのコレクションを揃えた追っかけは、CD化から後、なんだかんだで、結局すべてを買い直している。そういう連中はデジタル・リマスター盤が出た時に、それもまたボックスで揃えていたりする。3度買い。EMIの奴隷である。3度というのは、仏の顔においてすら限界と見なされている回数だ。この上、誰が一体ダウンロード販売のファイル音源になんか手を出す理由を持っているというのだ? 円盤も無ければフォトブックも付属しておらず、手にとってうっとり眺めることもできないプロテクトされたオーディオファイルが、どうやってファンの蒐集欲を満たすことができる? 冗談じゃないぞ。
私は全音源を持っている。しかも、とっくの昔に符号化して、手持ちのPCとiPodに載っけている。この上、同じ音源の圧縮版をアメリカの会社から買う理由はひとつもない。
ということはつまり、この度のビートルズ音源は、非ファンにとっては不要なデータであり、ファンにとっても屋上屋の二度ネタでしかなかったわけで、その意味で、ファンにとっても、ビートルズにとっても、一向に特別な意味を持つ音源ではなかったということだ。
ジョブズにとっての「アップル」とヒッピーの「正義」:日経ビジネスオンライン